ジェラルド・マクラレン

ミドル級の歴代ナンバーワンパンチャーを選ぶとしたら必ず上位に名前が出てくる選手は

ジェラルド・マクラレンです。そしてもうひとり忘れてはいけない選手がジュリアン・ジャクソンですね。
おそらくこの二人がナンバーワンパンチャーの1,2を争うのではないでしょうか?

マクラレンのパンチはまるでショットガンをぶっぱなしたような迫力があります。
怒り肩で黒人特有の長いリーチで放つ強烈なストレートにわずか1ラウンドで沈んでいった選手は
数知れません。

KOの早い即決型の選手でしたが、1ラウンドKOがそのほとんどを占めます。
そのためかスタミナに不安があり、最後の試合は序盤に倒しきれず生き延びられ、
後半にスタミナ不足を突かれてしまいました。

もしあんな事故にならなければ、どんなビッグマッチがあったのか考えると
残念でしょうがありません。ロイジョーンズ戦、ジェームズ・トニー、バーナード・ホプキンス、
とのスーパーファイトを見てみたかったです。

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ミゲルアンヘルゴンサレス

よくゴンサレスのことをゴンザレスと呼ぶ人がいるのですが、ゴンサレスとメキシコの読み方では

濁らないので気をつけましょう。ボクシング漫画はじめの一歩はメキシカンの選手を
ゴンザレスと言っていますが、明らかに間違えなので気をつけましょう。

そんなゴンサレスですが、初めて見たのはフリオ・セサール・チャベス戦でした。
ゴンサレスが今何時だい?「ミゲルアンヘルタイムだ」とワールドボクシングに書いてあったのが、
いまでも憶えています。

世界チャンピオン時代のゴンサレスを知りませんが、東京三太のリングネームで
後楽園ホールで活躍していたのはあまりにも有名でしたね。全盛期を過ぎていた頃から知っていました。
そして最後は、コンスタンチン・チューにボコボコにされて引退していきます。

あれだけ殴られて立ってられるのは凄い打たれ強いと思いました。チューのパンチを
まともの何百発殴られていたのでしょうか、全く歯がたちませんでした。
相当力が落ちていたのでしょうね。そういえば、ライバルだったチャベスもチューに息の音を止められました。

そしてチューはハットンの相撲ボクシングにしてやられました。
あれはちょっと悔しかったですね。ハットンは嫌いだったのでやっつけてほしかったのですが、
やられてしまいました。しかし、パッキャオが敵を取ってくれたのですっとしました。
断線しましたがこれにて終了。

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ジュリアン・ロルシー

ジュリアン・ロルシーは元トップアマの選手でWBAのライト級の元チャンピオンでした。

世界タイトルを取ったのは畑山隆則とのライト級世界タイトルマッチです。
畑山の猛攻を捌き切って大差の判定勝ちを収めました。

そのあと、すぐ負けてしまいましたが、結構地味で印象的な選手ではありませんでした。
体型はずんぐりむっくりで手足は決して長いとは言えず地味な印象です。

スピードは標準的でパワーもそれほど感じられませんでした。層の厚いクラスでは
多分チャンピオンになれなかったと思います。2001年当時のWBAライト級は穴王者が連発していた時代です。
あの時のチャンピオンは覚えてる範囲です。ヒルベルト・セラノ、ジャンバプティストメンディ、
ステファノゾフ、あとブラジルの誰かがいました。正直ぱっとしませんでしたので、
日本おスター畑山にはスカッと勝って欲しかったですが、これが日本と世界の差でしょうね。

アウトボクシングで畑山をシャットアウトしましたが、決してボクシングが上手な印象はありませんでした。
当時のWBAライト級はコロコロチャンピオンが変わりすぎて誰が誰に負けたか忘れてしまいました。
その後、ファン・ディアスが出てきてから安定してきたと思います。

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テリー・ノリス

管理人がテリー・ノリスの試合を始めてみたのはオスカー・デラホーヤが1997年の12月にリベラと

対戦したアンダーカードで黒人の世界ランカー(名前を忘れた)との防衛戦でした。

この試合にノリスが勝てば次はデラホーヤ戦のビッグマッチが待ち受けていました。
しかし歴戦のダメージが残っているノリスはこの試合でいつものように軽やかなフットワークは
死んでいて伏兵の黒人選手にノックアウトされてタイトルを奪われてしまいました。

それなので全盛期をリアルタイムで知らなかったのです。
ノリスはそのボクシングスタイルがカッコよかったので全盛期の試合も見てみたいと思い、
海外からボクシングビデオを自分で取り寄せてみました。

今ではユーチューブでだれでもみることが出来ますが、十数年前の当時は、
海外のボクシングビデオ屋から買わなければ見れませんでした。
今はファンにとっては便利な時代になりましたね。

そして、シュガー・レイ・レナード戦、ジョン・ムガビ戦、ドン・カリー戦、
ジュリアン・ジャクソン戦、サイモン・ブラウン戦、など勝ったし試合も
負けた試合もみました。

アウトボクシングのセンスが抜群なのに無理して撃ちあうスリリングなボクシングが魅力的でしたね。
顔もカッコイイのになんでそこまで人気が出なかったのかが不思議ですね。
ノリスは試合だけではなく練習でもハードなスパーリングを詰んでいたため、
脳にダメージを蓄積していってパンチドランカーの症状が出ていたそうです。
引退の年齢が31歳と現在からみれば早い方ですが、そういった理由があったんですね。

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ロイ・ジョーンズJR

管理人がボクシングを見始めた頃ロイ・ジョーンズは無敵チャンピオンと言われていて、

超人とかヘビー級への転級の話が良く出ていました。

当時はライトヘビー級で無双状態でした。
どんな相手が来てもほとんどパンチをもらわずに12ラウンドフルに戦って
120対108でポイントアウトしていました。

スピードは以上に早かったです。
今もハンドスピードはあまり衰えていませんが、脚のスピードが明らかに落ちましたね。
全盛期はフットワークもすごくて踏み込みやバックステップなどで、
相手の攻撃をかわしたり攻撃したりしていました。

初めて見たロイ・ジョーンズの試合が、バージル・ヒル戦でした。
結果は4ラウンド右のボディーブローのワンパンチKO勝ちです。
バージル・ヒルというとライトヘビー級で長期間王座に君臨していた
安定した実力の持ち主でした。

地味でしたが実力に疑いはありませんでした。
ボディで倒れるような選手じゃないんですが、あっさりと倒したのは圧巻でした。
ライトヘビー級時代のロイ・ジョーンズはあまり強打を打たなかったので
KO率は低くなっていましたが最初に見たのがこの試合だったので
強打者との印象を持ちました。

そしてクリントンウッズ戦まで毎回楽勝で防衛を重ねていきました。
そして2003年ついにヘビー級のタイトルに挑戦することになりました。
相手はイベンダー・ホリフィールドと死闘を尽くしたジョン・ルイスです。
さすがにもう一人のレノックス・ルイスは不可能だとおもったのか、
ジョン・ルイスへの挑戦になりました。

内容はロイ・ジョーンズの圧勝でした。
一ラウンド目ルイスの突進からの右ストレートがジョーンズのテンプルをかすめた時
ちょっと脚がバタついたのは効いたのかなと思いましたが、
すぐ立てなおしてその後はずっとジョーンズペースの完璧な試合運びでした。
そして100年以上ぶりにミドル級からヘビー級を制覇した
チャンピオンの誕生となりました。

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フロイド・メイウェザー

 

フロイド・メイウェザーは現役でパウンドフォーパウンドNO1と言われている選手です。
世界タイトルを初めてとったのは1998年のヘナロ・エルナンデス戦でした。

エルナンデスは日本でもお馴染みの世界チャンピオンで、渡辺雄二など日本の
選手を退けてきた安定王者でした。
なので、まだ挑戦するのは早いんじゃないか?と心配されていました。

当時メイウェザーは若干21歳、未来のホープをこの試合で潰してしまうのは
惜しいと考えるのはボクシングファンとして当然の意見でしょう。

しかし蓋を開けてみると試合は終始メイウェザーペースで運びました。
途中でエルナンデスは古傷の鼻を痛めながら闘いましたが、
メイウェザーのスピードとテクニックにベテランが翻弄されて
メイウェザーの勝利になりました。

それからメイウェザーの名勝負はディエゴ・コラレス戦です。
残念ながらコラレスは事件に巻き込まれもうこの世にはいないのですが、
このとき両方共全勝でWBCとIBFの統一戦という形で対戦しました。

序盤はコラレスがスーパーフェザー級にしては規格外の体でプレッシャーを
かけながら近づいていった所メイウェザーがスピードになってジャブや
左フックなどを放っていきました。

序盤はコラレスもメイウェザーのパンチを上手く外しながらプレッシャーをかけていましたが、
途中からパンチをヒットされだして左フックで膝をつくダウンを奪われてしまいます。

これまでの試合で打たれ強かったこられすが、
非力と言われていたメイウェザーのパンチでダウンするのが意外でしたね。

それからはコロコロとダウンさせられるようになり、
最終的にはセコンドがストップを要請しメイウェザーの勝利で終わりました。
メイウェザーの強敵が相手の時の集中力とパフォーマンスの高さが
この試合で証明されましたね。

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ロベルト・デュラン

ロベルト・デュランの試合は記憶に残る試合と、凡戦が大きく別れますね。

記憶に残るのはシュガー・レイ・レナードとの2戦。
ノーマスと言って試合放棄したところも印象的でした。

それからトーマス・ハーンズとの世紀の一戦も今でも鮮明に覚えています。
野外リングで第2ラウンド狙いすましたようなハーンズの右の打ち下ろしで、
まるでショットガンで撃ちぬかれたように倒れこみました。
ボクシング史上、最も衝撃的なノックアウトの一つと言って良いでしょう。

あの後デュランはレフェリーの試合のストップに文句を言っていて、
続けていたら勝てていたとのことでした。デュランらしいですね。

そしてアイラン・バークレー戦も白熱した打撃戦で面白かったです。
ロベルト・デュランの試合は接近戦でのクリンチが多いので、
つまらない試合も少なくないのですが、
バークレー戦は珍しくクリンチが少なかったのでとても面白かったです。
毎回こういう試合をしていればよかったのですが、
クリンチが多かったのであまり好きな選手じゃありませんでした。

しかしマービン・ハグラー戦はよかったですね。
下馬評では圧倒的に不利だったデュランが
クリンチワークを巧みに使ってハグラーの良さを殺しています。
泥沼にハマったハグラーはなんとか辛くも勝利を手にしました。

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オスカー・デラホーヤvsアイク・クォーティ

 

この勝負は最高の名勝負でした1999年の試合です。
当時の年間最高試合で選ばれたことを思い出します。
1ランドの序盤のジャブの刺し合いは非常に緊迫感があって盛り上がりました。

当時はデラホーヤもクォーティも無敗のままそれぞれ世界チャンピオンでした。
WBCとWBAの統一ウェルター級のタイトルマッチで、
この試合でどちらかのレコードに傷がついてしまうので、
とても緊張感が高かったと思います。

オスカー・デラホーヤは当時26歳で上り調子でした。
ジンミブレダールからWBOジュニアライト級のタイトルを奪い、
ヘナロ・エルナンデスからはライト級、フリオ・セサール・チャベスからは
スーパーライト級のタイトルを取りました。
当時はジュニアウェルター級と呼ばれていましたね。

序盤から中盤にかけて互角の展開で、
6ラウンド目まず、デラホーヤがダウンを奪いましたが、その後すぐに
クォーティもダウンを奪い返しました。

その後はデラホーヤの方が効いているのか、足の動きが重くなったように見えました。

そして12ラウンドデラホーヤは勝負に出ました。
クォーティに対して猛ラッシュを仕掛けてダウンを奪いました。

しかし、ラッシュのせいでスタミナが切れたデラホーヤはクォーティを倒しきれずに
12ラウンドが終了。ジャッジは割れましたが2対1で辛くもデラホーヤが勝利しました。

ボクシングの歴史に残る名勝負でしたね。

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